自分の意見を言うこと、他人の意見を聞くこと

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先日のこと、自宅のポストに一枚のはがきが入っていました。見れば学校からのもの。ドキドキしながら内容を確認したところ、Scienceの先生から長女あての手紙で、「あなたの授業態度はとてもすばらしい」というような趣旨のことが書いてありました。

先生からお褒めの言葉をいただいた長女ですが、日本人の基準で見ると、褒められるようなものでは断じてありません。夏の一時帰国中にH学園の体験授業を受けたときに彼女が授業を受けている様子を久々に見ましたが、先生が一生懸命話をしているときに二の腕のムダ毛をじっくり観察してナデナデしてみたり、キョロキョロ周囲を見回したり、本当に本当にほんと~に落ち着きがなくて、見ていてこちらがハラハラしてしまいました。

そんな彼女ですが、インターの先生からみると、「素晴らしい!」ということになるようです。本人は先生からの葉書を見ながら、「なんで褒められたのかな~?な・ぞ!」と言っておりました。

 

インターにいると、日本人の場合、「人の話をちゃんと聞ける」という点でほめていただけることが多いです。我が家もそうでした。当初は、「そこしか褒めるところがないからかな~」なんて卑屈な捉え方をしていましたが、徐々に、そうではないことに気づかされました。インターの子供たちって、「自分の意見はガンガン言うけど、人の話を全く聞かない」タイプが非常に多いのです。「人の話は行儀よく聞くけど、自分の意見は言えない」日本人と、真逆ですね。「自分の意見をきちんと言えること」も素晴らしいけど、それと同じくらい、「きちんと人の話を聞けること」も評価に値することなのです。もちろんクラスパーティシペーションは大切で、成績評価でも考慮はされるのですが、自分の意見だけをガンガン言う子は評価されないようです。

「意見を言う」という能動的な行動と、「人の話を聞く」という受動的な行動は、正反対のものではありますが、互いに矛盾するものではなく、場面に応じて上手に使い分けていくことが必要なのだろうと思います。「人の話を聞く」ことのできる子が、さらに場面に応じてきっちり「意見を言う」こともできたなら、鬼に金棒だろうと思います。

 

授業や会議の場面だけでなく、普段の行動の在り方そのものについても、同じようなことが言えるかと思います。

上からの指示を守りきっちり行動できるのは日本人のいいところです。大きな災害が起きてもカオスに陥らないのは、日本人が小さいときから「上に従う」ことをきっちり叩き込まれているからに他なりません。他の国で同じような災害が起きたら、無秩序状態になることは間違いないですから。

ただその反面、「上に従う」人が多いコミュニティは、上に立つ人が方向性を間違えればみんなそろっておかしな方向へ流れてしまう恐ろしさも秘めています。また、森友事件等を見ていると、「上に従う」という選択をしたことによって人生の途を大きく誤ってしまうリスクもあるのだと感じます。ルールや「上の指示」を尊重しつつも、それが正しいものなのかどうか常に検証しながら行動することが必要なのだと感じます。

 

最近の教育論評をみると、日本人の「意見を言えない」「自分の頭で考えられない」点に懸念を示すものが相当数見受けられます。そのとおりではあるのですが、「人の話をきちんと聞ける」「ルールをきちんと遵守する」人材の育成という点では、日本の教育システムは優れた面も持ち合わせています。大切なのは、両者のバランスと、場面に応じた使い分け。いいところは維持しながら、足りないところを伸ばしていけるといいのかなと思います。

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