【記事紹介】専門家が直言「TOEICが日本を滅ぼす」(プレシデント)

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最近頻繁に、「英語よりまずは日本語を」「英語の早期教育は必要ない」「英語は単なるツール」という意見を目にします。色々な教育者の方が発言をされていますが、正直、「はいはいそーですね、そうかもしれませんねー」レベルの情緒的な意見が多い気がして、なんだかな~と思っていました。

そのような中、プレシデントで出ていた記事を読んで、「おっ」と思ったので、自分の備忘録も兼ね、抜粋を貼っておこうと思います。

専門家が直言「TOEICが日本を滅ぼす」(プレシデント)

(なお、タイトルのTOEICうんぬんと、私が「おっ」と思ったポイントはちょっと違うので、もし読まれて「なんだこんなことかよー」と思われた方がいたらすみません)

 

本来あるべき言語教育とは、英語という特定の言語に偏ることなく、言葉そのものに対する興味をさまざまな角度から養い、母国語と外国語をよく比較観察しながら「ことばの仕組みとか動き」を理解するものであるべきだと、大津氏は言います。

しかも、そもそも「比較観察」する前提となるのは国語力。国語力は思考と深く関連性があり、言語というものは思考した結果を表現するツールに過ぎません。だから、英語を学ぶ以前に、国語力に立脚した思考能力がなければ話にならないのです。

外国語の能力は母国語の能力を上回ることはないが、外国語を知ることは母国語を見直す契機となり、母国語の習熟度を高めます。英語学者の渡部昇一氏はこれを「知的格闘」と呼んでいましたが、外国語を知ることは、母国語と外国語両方に望ましい教育効果が期待できるのです。

 

なるほど。人は新しい言語を学ぶときに、母語との比較観察を繰り返しながら「言語そのもの」への洞察を深めるという極めて複雑な作業を行っているのですね。軸となる母語がしっかりしていなければ、この高度に知的な「言葉への気づき」という作業を行うことができず、語学学習の効用を十分に享受することができないのでしょう。(なお、論者がいう国語=思考力の源という話と、大津教授がいう「母語がしっかりしていないと外国語との比較ができない」という指摘は、個人的には次元が違う話のような気がするんですが、ここは深入りするとはまりそうなので、触れずにおきます)

そして論者いわく、外国語学習は、母語を今までとは違った角度から見直す契機もなるとのこと。海外に住んでみてはじめて日本の良さがわかるとよく言われますが、外国語の習得にも同じような側面があるのでしょう。この点はなるほどーと思いました。

 

私は、最近、英語のみならず母国語である日本語も含めて、日本人のコミュニケーション能力、論理的思考力が変調をきたしているのではないかと思うようになりました。この傾向は、一般の人々や若者ばかりでなく、ビジネスピープルや知識人と呼ばれる人々のあいだでも顕著で、はたで他の人のトークを聞いていても話がかみ合っていないと感じることが多いのです。

これは私もしばしば感じることがあります。ここ5~10年の間に、公私の両側面で、要求されるコミュニケーションの質が大きく変化してきています。これはコミュニケーションツールとしてのチャットの普及が影響しているのではないかと個人的には思っています。仕事ではChatworやSlack、プライベートではLINEにWhatsapp。チャットではスピーディかつ直感的なやりとりが好まれるため、その分、論理的に筋道立てて物事を説明する機会が減ってきている気がします。

 

日本語教育と外国語教育をセットで考え直すべし

まさにそのとおりなのですが、問題はこれをどう実現するかです。残念ながら上記記事ではそこまで突っ込んだことは書かれていませんでした。とりあえず我が家では、論理的に意見を述べる力とプレゼン能力の二つについては、母語の日本語ではなくまず英語で鍛えるという独自の方針をとっていますが、これが正しいのかどうなのか・・・。

日本語と英語の言語学習の相乗効果をさらに高めるにはどうしたらいいのか。この点についての議論がもっと深まるといいなと思います。

 

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