「グローバル人材」って、なんだろう?

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最近あちこちで聞かれる「グローバル人材」という言葉。

今日は、「グローバル人材」について私が考えていることを、少し書いてみたいと思います。

グローバルで活躍できない残念な人の例

あれは10年ほど前に私がアメリカの大学院に留学していたときのこと。アメリカにおける人種差別問題について学者や研究者の方々とディスカッションをしていたときに、とあるアメリカ人の研究者が、私にこういう質問をしました。

「そういえば日本ではどうなの?人種差別問題ってあるの?」

私はちょっと考えてこう答えました。

「んー。性差別は結構深刻だと思う。女性の社会的地位は他の先進国に比べるとかなり低いから。でも、人種差別はあまりないかもしれない。なにせ単一民族国家で、みんな同じような外見をしているから。」

これに対して、同席していたアメリカ人の研究者から痛烈な突っ込みが入りました。

「うーん、本当にそうだろうか?日本では在日韓国人に対する差別が問題になっていると聞いたことがあるよ。あと、アメリカでは先住民族のインディアンに対する差別問題があるけど、日本でもホッカイドーで似たような問題があるっていう話も聞いたことがある。アメリカと日本、全く違うように見えて、意外に似ているところがあるなって僕は感じていたんだけど。君はどう思う?」

この発言をきいて、ガーンとショックを受けた私。もうなんというか、穴があったら入りたいような気分になりました。正鵠を得た指摘であり、反論の余地なし。日本にも、在日やアイヌなど、人種にかかわる問題は色々あるんですよね。にもかかわらず、私は、「日本には人種差別問題はあまりない」なんてバカ丸出しの発言をしてしまったのでした。突っ込みを入れてくれたアメリカ人は「おいおいまじかよ、こいつ全くわかってねーな」と私に呆れたのだと思います。

勿論、在日やアイヌの問題があることを私が知らなかったわけではないのです。でも、質問を投げかけられたその瞬間には、まったく頭に思い浮かばなかったのです。なぜか。それは私が、「アメリカの人種差別問題」を、遠い異国で起きている他人の問題として捉えていたからだと思います。多分私のなかには、「あーあ、アメリカって人種差別ばかりで、ほんとどうしようもない国だな」という潜在的な思いがあったのだろうと思います。だからとっさに話を振られたときに、そのままの感覚で、「日本はアメリカとは違う」という無粋な回答をしてしまったのでした。

グローバル人材に必要なもの

グローバル人材の条件として、語学力に加えて、「多様性への理解」ということがよく言われます。

確かに「多様性への理解」は大切です。でも、単に「理解」するだけでは足りないんだろうなと思います。

多様性を理解し、受容し、「違いのなかにある共通点」を見出すことができる。そしてその上で自分のアイデンティティーや経験をベースにしたユニークな意見を出して、組織やコミュニティーに貢献することができる。これが私が考える「世界で通用する人=グローバル人材」です。

前述の場面でもし私が、日本における人種問題をさらっと説明した上で、アメリカとの共通点を語ることができたなら。たぶん、「おお、こいつはなかなかできるな」と同席者からリスペクトされたでしょう。またそこから議論がより発展し、おもしろい展開になったかもしれません。でも私にはそれができなかった。ただ単に自分の浅薄さを白日のもとに晒しただけだったのでした。

「グローバル人材」の定義いろいろ

「グローバル人材」とはなにか。私の考えは前述のとおりですが、この点については色々な意見があるようなので、他の方がどのように定義しているのか、見てみました。

国内外問わずイキイキと働き価値を生み出せる人材(グローバルエデュケーション

イキイキ、ねえ・・・。なんか大雑把すぎる定義だなあ。

世界に通用する人間であると同時に、日本の良さも自覚した上で働くことのできる人材(池上彰)

うーん、そもそも何をもって「世界に通用する」というのかが問題なのでは。それから、日本の良いところだけでなく悪いところを自覚することも大切な気がしますが、どうでしょう。

グローバル化が加速するビジネスシーンにおいて海外市場特有の様々な事情や文化的背景を全面的に受け入れることで、自社と取引相手の両方にとってベストな条件を見極め、Win-Winな関係を築き上げることができる人材(ビズリーチ

ビジネスという側面からみたときのグローバル人材の定義なのでしょうか。現実問題として、現地の商慣習をすべて「受け入れる」のは、グローバルスタンダードからみたときには妥当ではない場合も多々あるのでは。腐敗防止とかその最たる例ですよね。で、相手を全面的に受け入れることで「ベストな条件を見極める」って、それどんなマジック・・・?すみません、この定義、私には全く理解できませんでした。

国際社会の中で、言語・文化・価値観の異なる多様な人々と意思・感情・思考を伝達しあい、主体的に課題を解決していくことができる人(デジタル大辞泉

うーん。かっこいい言葉が並んでいるけど、なんだかもやっとしていて、結局何が言いたいのかよくわからない。

グローバル化が進展している世界の中で、主体的に物事を考え、多様なバックグラウンドをもつ同僚、取引先、顧客等に自分の考えを分かりやすく伝え、文化的・歴史的なバックグラウンドに由来する価値観や特性の差異を 乗り越えて、相手の立場に立って互いを理解し、更にはそうした差異からそれぞれの強みを引き出して活用し、相乗効果を生み出して、新しい価値を生み出すことができる人材(文科省 産学人材育成パートナーシップグローバル人材育成委員会

うんうん、個人的にはこの定義が一番しっくり来る気がしました。でも・・・翌年には下記に変更になっているのかな?

世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間(文科省 産学連携によるグローバル人材育成推進会議)。

教養に専門性、協調性、新しい価値を創造する能力、社会貢献の意識・・・。うーん、色々突っ込んだら、ごった煮状態で、訳が分からなくなってしまったような感じを受けます。色々な人の意見を取り入れた結果こうなっちゃったんでしょうけど、ぶっちゃけ前の定義の方がよかったんじゃないかな。

以上、色々見てみましたが、「グローバル人材」という言葉一つをとっても、色々な定義の仕方があるんだなあと興味深かったです。

グローバル人材を育てるために

それでは、子供を「グローバル人材」に育てるために何をすればいいのか。これは私も手探り状態なのですが、まず、語学力は非常に大切だと感じています。

「語学力より多様性への理解」なんていう意見もありますが、やっぱり語学力は大切だ思います。なぜかというと、語学力がないと、真に理解し合える外国人の友人を作ることができないから。AI翻訳を使って友達になる?うーん、恋に落ちることならできるでしょうけど、友人になるのは無理でしょうね、たぶん。

それからもうひとつ私が大切だと考えているのが、「違いのなかに共通点を見出そうとする思考回路」の育成です。たとえばトランプ大統領が移民排斥政策をとったというニュースに触れたときに、「あーあ、またトランプがなんかやってるね」で終わらせない。移民受け入れについて日本がどのような政策をとっているのか。アメリカとの違いは何か。共通点はないか。そんなことを調べたり考えてみたりするのが大切だと思っています。

・・・と偉そうなことを書きましたが、日常生活で都度都度そんな作業を一緒にする余裕もないので、実際にできているのは、「どこかの国で起きている問題というのは、その国特有のものではない。たいてい同じようなことが日本でも起きているんだよ」「違うようで、共通する点はたくさんある。だってみんな人間だから」というメッセージを繰り返し伝えることくらいでしょうか。ああ、親の私がもうちょっと頑張らなくては。

日本人として、日本という国に誇りを持つことも大切だけど、それ以上に、国や文化、宗教を超えた共通点をたくさんみつけて、世界中に友人のネットワークを広げてほしい。フェアで多角的な視点から物事を分析できて、そこから自分なりの論理を展開できる人に育ってほしい。私自身ができていないことを子供に託すのもどうかなとも思う面もあるのですが、できれば、我が子にはそんな「グローバル人材」に育ってほしいと願っています。

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