最近、仕事の関係で、AIを使ったとある機械翻訳サービスを利用する機会がありました。
無料のgoogle翻訳もかなり日英の精度があがったと話題になっていますが、やっぱり有料サービスは違いますね。流れるような美しい日本語の訳文に驚嘆しました。機械翻訳の場合、現時点では得意・不得意な分野があるようですが、難しいといわれる日英翻訳でも、一部の分野ではすでに精度95%に達しているとのこと。これは人間の翻訳とほぼ変わらないレベルとのことですから、驚きです。長文になると翻訳ミスが散見されましたので、まだ人間には追い付いていないというのが個人的な印象ですが、それでも、翻訳にかかるコストと時間を考えると、今後は翻訳会社のかわりに機械翻訳サービスを利用する機会が大幅に増えそうです。
さて、「機械翻訳の精度があがったら、語学を学ぶ必要はなくなるのでは」ということがよく話題にあがりますが、個人的にはそうはならないだろうと思っています。計算機が普及して、計算の勉強が必要なくなったかと言われれば、そんなことはないわけで。もちろん複雑な計算は機械におまかせですが、基礎的な計算から数の概念や性質を理解することの重要性は、今でも変わりません。
そもそも言葉は「文化」を反映していますので、1対1で英単語と和訳が対応しているわけではありません。だから「100%正確な翻訳」は物理的に無理なんじゃないかなと思っています。そしてAIで完全に代替できないもののひとつが「人と人とのコミュニケーション」です。たとえ精度の高い機械翻訳が普及しても、他言語、特に世界共通語である英語で円滑にコミュニケーションできる力の重要性は失われないのではという気がしています。
そういえば最近よく「英語は単なるツール、大切なのは中身だ」という言葉を耳にします。確かにそのとおりではあるのですが、一方で、そもそも一定レベルのきちんとした英語が話せなければ、どれだけ中身がしっかりしていても通用しない世界というのも確実に存在します。特に相手方との信頼関係を構築することが大切な職種の場合、この「ツール」の性能は極めて重要です。よって、機械翻訳が普及しても、高い語学力があれば仕事の選択の幅が広がるという点は、これからも同様だろうと思っています
しかしながらその一方で、機械翻訳が普及すれば、「中途半端な語学力」が持つ意味は半減するだろうと考えています。中途半端に語学を頑張るくらいなら、特定分野で専門性を磨く方がずっといい場合も多いです。よって、言語教育の観点から見ると、「AI以上」を目指すか、基礎レベルで終了とするか、早い段階での目標設定と見極めが重要になってくるのではと思います。それと同時に、教育の在り方としても、中学から大学まで英語を学ぶことが必要な現在のカリキュラムは、大幅な見直しが必要なのではという気がします。大学入試の英語、4技能だ何だと言っていますが、そもそも「英語なし」入試をもっと拡張すべきと思います。万人が英語学習必須の現状は、どう考えても時代遅れ。にもかかわらずスピーキングだなんだと受験者の負担を増やす制度改革が進んでいるようであり、モヤモヤします。
以上のような現状を踏まえ、今後我が家がどうするかですが、幸か不幸かある程度の高みまで一気に来てしまいましたので、2人とも英語については「AI以上」を目指してもらいたいと思ってます。あわせてその能力が最大限に発揮できるよう、プレゼン力その他の表現力を磨いていけるといいなと思っています。