少し前にPresidentに出ていた記事。周囲で結構話題になっていました。
著者は英語関連の出版社に勤務していた経験のある女性の方。自己の経験から、「英語なダメな親ほど超必死」「バイリンガルの親はわが子の英語教育に距離を置いている」と述べられています。そして、親がバイリンガルの場合、「英語の教育に夢中にならない」理由として、著者は以下の3点をあげています。
① どうせ成長過程で英語を忘れてしまうから
② 日本語も英語もダブルリミテッドになってしまうから
③ やる気になればできるはずだから
私の周囲では「そのとおりだよね」という意見が思いのほか多く、ちょっとびっくり。ちなみに私自身は、この方の意見に、賛成できるところもあればできないところもある感じ。英語は手段であるという点、そして英語よりも大切なのは母語であるという点はその通りだと思います。週1~2で英語教室に通わせる程度の中途半端な英語教育は意味がないというのも、その通りだと思います。でも、上記①~③は、どうなんだろう・・・?
① どうせ成長過程で英語を忘れてしまうから
→中途半端な英語学習だと確かにそのとおり。特に厳しいのが中学受験との両立。ただ、子どもが英語で年齢相当の読書や動画、ゲームなどを楽しめるレベルになれば、維持は十分可能だと思う。
② 日本語も英語もダブルリミテッドになってしまうから
→海外在住の場合、確かにこれは大きな問題。でも日本で義務教育を受けていて、ダブルリミテッドになるくらい英語漬けにするのは逆に難しいのではないかと思う。
③ やる気になればできるはずだから
→やる気がないとやらせても無駄というのは、そのとおり。でも、大人になってからやる気出しても、ドラマや映画の聞き取りや、ナチュラルな発音は、習得困難。やる気になってできるなら、苦労しませんってば。
私の周囲には、自身がバイリンガルで、家庭内での会話を英語にして、日本で子どもをバイリンガルに育てている友人もいます。子どもの教育を考えて海外に移住するという道を選んだ友人もいます。英語ができる方の場合、二言語取得にどれだけ労力がかかるかがよくわかっているので、中途半端な英語教育はせず、子どもの早期英語教育を断念するか、全力で取り組むかのどちらかに分かれるという印象です。割合でみれば、前者が多いことは確かですが、「冷淡」というより、「冷静」という感じ。
また、バイリンガルというわけではないけど、ビジネスレベルの英語力を持ち、英語習得の困難さを知っている方のなかにも、英語教育に熱心な方は多いと感じています。特に多いのが、大人になってから留学して苦労して、「やる気になればできる」というのが幻想だということを知っている人達。どれだけ頑張っても、帰国子女組との間に超えられない壁があるのを実感しているので、熱心にならざるを得ないのです。ちなみに我が家もこのパターンです。東大や早慶を出て、官庁派遣や社費留学でアメリカに留学してきたピカピカの日本のエリートたちが、「英語もまともに話せない困ったちゃん」としてぞんざいな扱いを受けているさまを目の当たりにすると、危機感を持つのは当然のことだと思います。
また、記事では、「マルチリンガルよりマルチカルチュアルに」ということも書かれていました。これはその通りだと思う部分もあるのですが、一方で、英語が話せなくてどうやってマルチカルチュアルになるんだろう・・・と疑問に思いました。我が家の子供たちは人種のるつぼのなかで学校生活を送り、異文化への寛容性をそれなりに身に着けていると感じますが、それは英語という共通言語を通じてコミュニケーションが可能だから。バックグランドも人種も宗教も違う子供たちと友達になって、あーでもないこーでもないと議論して、一緒に泣いたり笑ったりして、そうやって日々成長しているのを感じるので、英語なしでマルチカルチュアルというのは、どうもイメージがわきません。
英語教育については家庭によって考え方が違うし、我が家の考えが絶対的な正解だとは思っていません。でも、なんとなく、「やーいやーい、お前は自分が英語がダメだから超必死になっているんだろ?プッ」と言われたような感じがして、この記事にはちょっとイラッとしてしまいました(笑)
いや、確かに私、英語だめで、コンプレックスだらけですけどね・・・。もっと英語を勉強して、「ペラペラな親」(?)にならないと、反論する資格もないかな~。私も英語、頑張ります(汗)