ひとりごと

過労死と教育、そして私が「死にたい」と思ったときのこと

先日、電通の若手社員が過労死した件が、大きなニュースになっていました。ご遺族の記者会見の様子を拝見し、私も居たたまれない気持ちになりました。

私のブログには、思わぬキーワードでgoogleなどの検索サイトからたどり着いてくださる方も多いので、今日は、バイリンガル育児とはあまり関係のない話になりますが、自分の経験をもとに、過労死について考えていることなどを書いてみたいと思います。

 

私が「死にたい」と思ったときのこと

もう10年以上前のことになりますが、私も、過労が原因で、極度の精神状態に追い込まれ、一瞬ですが「死」を考えたことがあります。

当時の残業時間は月120時間くらい。毎日終電で家に帰って、布団に倒れ込むようにして眠り、朝起きたら朝食も食べずに会社に行くという生活をしていました。終電までに仕事が終わらず、持ち帰って自宅で仕事をすることもありましたし、土日出勤も頻繁にありました。終電のなかで立ったまま眠ってしまうこともありました(眠ると膝がガクッとなって転びそうになるので、ドアや手すりなどに寄りかかって寝るようにしていました)。仕事中にどうしようもない睡魔に襲われて、トイレで仮眠をとったことも。今から考えれば信じられない生活ですが、仕事はやりがいがあったし、周囲にもそういう人は多かったので、なんとか続けていました。

そんな働き方を半年ほど続けていたある日のこと。朝、通勤の際に、ホームにゆっくり走り込んでくる電車を眺めながら、「あ~、ここで電車に飛び込めば、もう仕事しなくていいんだよな。そしたらめちゃくちゃ楽だなあ~。」とぼんやり考えている自分に気付きました。

このときなぜ私が飛び込まなかったのか。ちょっとおかしな話なのですが、極度に疲弊した精神状態で、「死んだら楽になれるよな~」などと考えつつも、別の自分が、そんな自分を観察して、「はは~ん、自殺願望が頭を横切るとは、これはもう、メンタルが限界にきているな。先月も残業時間は100時間を超えていたから、ここで飛び込んだら、ほぼ間違いなく過労死認定されるな。でも、今死んでも、2億はもらえないよなあ。」などと冷静に分析していたのです。私には過労死やメンタルヘルスについて多少の基礎知識があったので、「死にたい」という思いが心からの願望ではなく、極度の疲労に起因するものだということが察知できたのでした。

死を考えた朝に、私が決断したこと。それは死ぬことではなく、人生の進路を変更することでした。

 

過労自殺はだれにでも起きうる問題である

長期間労働が常態化している日本。過労死の問題もそうですが、女性の社会進出が進まないのも、この「長時間労働」が原因だと私は思っています。

なぜ長時間労働をする人が多いのか。ひとつの原因としては、「長時間労働=いいこと」と考えている人が多いことが挙げられると思います。それを象徴するのが、「昨日は俺、仕事で徹夜だったぜー」などとSNSで長時間労働を自慢する人たちの存在です。長時間仕事をしている→それはたくさん仕事を頼まれるから→俺って有能だぜという、意味不明な自己満足に酔っている人が多いんですよね。こういう人が多い職場は、「早く帰るのはよくないこと」という雰囲気が漂います。だから若くてまじめな人ほど、「帰れなくなる」のです。

この種の事件がおきるたびに、「俺は月140時間残業している。100時間超えたくらいで死ぬなんて」ということを言う人がいます。確かに労災における過労死認定においては残業時間の長さが重視されますが、労働時間以外にも、責任の重さやノルマの有無、職場の人間関係など、ストレスを与える要因は多種多様です。時間は心身への負荷を測るひとつのメルクマールになりますが、絶対的な尺度ではありません。いつでも、誰でも、過労死のリスクはあるのです。

今回は電通に注目が集まっていますが、これは特定の会社や業界のみの問題ではなく、どの会社でも起きうる問題です。大手企業で発生する過労死案件の多くは、表面化しません。なぜかというと、会社も遺族も、死の原因が広く世間に知れわたることは望まないのが通常だからです。レピュテーションリスクを考慮し、会社が多少色をつけた賠償金を支払って、早期に示談で解決しているので、ニュースにはならないのだろうと思います。

電通のみを責めても、何の解決にもなりません。法律を改正し労基署による監督を更に強化しても、変わらないんでしょう。「長時間労働は素晴らしいことだ」という人々の価値観が根本から変わらない限り、残念ながら過労死問題がなくなることはないと思います。

 

真面目で挫折知らずの人ほど、過労死のリスクは高くなる

私の知人でも、過労死をされたと思われる方が何人かいます。

うち一人は、東大卒の女性で、亡くなったときは、25歳だったと思います。そう、今回の事件で亡くなった方と、出身大学が同じ、享年もほぼ同じなんですよね。彼女はとても真面目な性格で、努力家でした。容姿にも恵まれていて、彼氏もいたと思います。コツコツ勉強して、東大に入り、それなりに恋愛もして、人がうらやむような順風満帆の人生を送っていました。でも、あまりにも順調に人生のレールを走ってきたため、たぶん、途中下車の方法を知らなかったのではないかと思います。

当時は同じ労働者としての立場で彼女の死を受け止めましたが、今の私は、彼女の親御さんの立場で考えてしまいます。手塩にかけて育てた大切なお嬢さんを突然亡くし、どれほど辛かったか。今回の事件を聞いて、どんな思いをされているのか。想像するだけで、涙が出てきてしまいます。

個人的には、真面目で優秀な人ほど、過労死の可能性は高くなるように感じています。与えられた仕事はきちんと完了しなければならない、周囲はもちろん自分自身も納得できるような結果を出したい、そういう性格の方は、特に要注意だと思います。

 

若者の過労自殺を防ぐために

最近、子どもの教育でも、「生きる力を付ける」ということがしばしば言われます。

「生きる力」ってなんだろう?私にはよくわかりません。あえていえば、「知識」と「セーフティーネット」でしょうか。知識があれば危険を予知することが可能となります。セーフティーネット、すなわち、「助けて!」と言える相手がたくさんいればいるほど、回避策は増えます。予知と回避、このふたつができれば、過労死リスクは大幅に軽減されるのではという気がしています。

まず、「知識」。若い人達に接していると、「労働者」という立場にありながら、「働く」ことについての知識がない人が非常に多いことに驚きます。労働契約上、自分にどのような権利義務があるのか。労基法などの関連法規でどのように保護されているのか。自分が「当事者」なのに、まったく知らなかったりします。また、メンタルヘルスについても無知な人が多いように思います。過度の労働を続けたら、心身にどのような影響が出てくるのか、正確に理解していません。たとえば過労が続くと脳内で苦痛を緩和する物質が分泌され、いわゆる「ランナーズ・ハイ」に近い状況になりますが、これを「まだまだいける」と勘違いしてしまったりするわけです。過労で精神が限界に近付いたときに出てくる症状としては、一般に、「涙もろくなる」「死んだら楽になるという考えが頭をよぎる」ということが言われていますが、これ、私の経験からすると、本当にそのとおりです。そういうことを前提知識として知っているか、すなわち、極限状態に置かれたときに自分を客観視できるかどうかで、発作的に死を選ぶかどうかが、変わってくるように思います。

本当は、社会に出る前の若い人たちに、こういう基礎知識を学校がきちんと教えるべきだと私は思います。正しい知識があれば、自分の心身が「限界」に近づいたとき、それを自分で感知し、ブレーキを踏むことができます。そうすれば、過労死リスクは大幅に減らせると思うのです。

次に、「セーフティーネット」。これは結局のところ、周囲と良好な人間関係を築くことに帰着するのかなと思っています。どんなに優秀な人であっても、一人では生きていけません。コミュニティーの大切さや、その中での互助の精神を、私たち大人が、子どもたちに少しずつ教えていくことが必要なのかなと思っています。

 


我が家は夫婦共働きのため、子供たちは、女性が社会に出て働くのは当然のことだと思っています。おそらく私同様に、一生働く道を選ぶでしょうし、そうなってほしいなと思っています。

彼女たちが社会に出るころ、この日本の「長時間労働」はどうなっているのでしょうか。「一昔前は過労死なんてものがあったんだよ。英語でもkaroshiって言ってたよ。」「ええーっ、なにそれ?」そんな会話ができるような世の中になっていればいいなと思います。

 

最後になりますが、労働者のメンタルヘルスについては、厚生労働省のHPが非常に詳しいです。また、厚生労働省からは、つい先日、初の「過労死白書」も出ています。もっと詳しく知識を得たいという方がもしいらっしゃいましたら、是非厚生省のHPをご覧になってくださいね。

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