子どもたちの教育環境が英語になってから、もうすぐ2年になります。
徐々に「バイリンガル」化していく子どもたちの様子を間近で観察するのは、とても興味深いものがあります。自分がバイリンガルではないので、未知の世界なんですよね。
私から見るとまだ2人とも日本語が優勢だと思いますが、本人の意識はどうなのか、長女に色々聞いてみました。
(1)普段何かを考えるときは何語で考えているの?
<長女の答え>考えること自体は、英語でも日本語でもどっちでもないと思う。どっちかと聞かれても、答えられない。でも、英語で話さなきゃいけないときは、口に出す前にどう話すか英語で考えるし、日本語で話さなきゃいけないときは日本語で考えていると思う。書くときもそれと一緒。でも一人でぼーっと考え事をしているときはどっちでもない。
(2)日本語の本と英語の本、読むのはどっちが楽?
<長女の答え>どっちも変わらないんじゃないかな。
(3)日本語と英語、書くならどっちが楽?
<長女の答え>ポエムでライムしないといけないときは、英語は面倒だなと思う。だから詩は日本語の方が楽かもしれない。日記は普段英語で書いているから、もしかしたら英語の方が書きやすいかも。でも全体的にみれば、どちらもそんなに変わらない気がする。
(4)夢はどっちで見る?
<長女の答え>両方。
(5)思わず出てくるひとりごとはどっち?
<長女の答え>私、ママと違って、ひとりごと言ったりしないんだけど。。。
以上、本人の認識をベースに考えると、日本語50%:英語50%というところでしょうか。
長女の答えで気になったのが、(1)のところの、「考えること自体は、英語でも日本語でもない。どっちかといわれても、答えられない」というところ。「バイリンガルは思考力が低い」論が頭をよぎり、「うちの子、もしかして何も考えていないんじゃ・・・」と少し心配になったので、調べてみました。
すると、面白いことが分かりました。思考そのものは言語とは別次元のものなので、そもそも「何語で考えるか」という私の質問は、ナンセンスだったようです。人は思考するとき、まずはmentalese(日本語では「心的言語」と訳されている模様)を用い、それを外部に表すことが必要になった段階で、言語に置き換えるという作業(inner speech)をしているのだそうです(詳細は下記リンク先の記事参照)。すなわち、長女の回答は、まさに言語と思考の関係を的確に表したものだったのです。
「英語で考える」とか「日本語で考える」とかよくいうので、意外な結果に驚きました。この場合の「考える」は、inner speechを何語でするかということに限られるようです。だから長女の場合、話す相手が英語話者なら英語でこの作業をするし、日本語話者なら日本語で作業をする。周囲の状況にあわせてピッとスイッチを変えているようです。もしかすると深い思考が必要になったらmentaleseと特定の言語を頻繁に行ったり来たりするようになって、色々変わるのかもしれませんが、現段階での本人の認識は「特定の言語では考えていない」のだそうです。
うーん、バイリンガルって、本当に面白い。これからも、時折長女に色々質問して、バイリンガルの謎(?)を色々解明していきたいと思います(笑)