ひとりごと

読書の弊害とハイパーレクシア

「読書は素晴らしい」
「読書は子どもを賢くする」

これは多くの教育者が言うことであり、私も基本的にはその考え方に賛成です。

本は世界を広げてくれるし、たくさんのことを教えてくれる。
教育になくてはならない存在だと思います。

でも、本当にメリットだけなのだろうか。
読書をしすぎることの弊害はないのだろうか。

 


本が好きな子どものことを、「本の虫」(book worm)などといいますが、うちの長女の場合、「本の虫」を通り越して、「文字や数字に本能的に執着する」タイプです。

この傾向は彼女が0歳のころから顕著でした。たとえば、休みの日に大きな公園に連れて行くと、遊具があるような場所ではなく、駐車場に行きたがるのです。駐車区画に書いてある数字や、車のナンバープレートをじっくり眺めるのが好きだったんですね。いつも数字を指さしてアウアウと言っていました。また、ベビーカーで散歩をしていても、道端に咲く花や野良猫ではなく、お店の看板によく反応していました。自分が知っている文字や数字があると興奮するのです。0歳にして、文字や数字には「音」と「意味」があることを発見し、そのことに強い関心を示していました。

そんなわけで、長女の場合、文字や数字を覚えるのはとても早く、すでに1歳2か月のときには、0から9までの数字は完璧に、ひらがな・カタカナ・アルファベットの類も、自宅と保育園の行きかえりに目に入るものを中心に、ある程度読めていました。歩き始めたのが1歳4か月と遅かったので、歩きはじめるのよりも文字や数字を読みはじめる方が早かったのでした。当時は、長女をスーパー等に連れて行くと、値札を「さん、きゅ~、はち!」と嬉しそうに読み上げたりするので、周囲の人たちからギョッとされることが多かったです。道端の「ちかん注意」の立て看板をみて、「ち~か~ん!!」なんて読み上げたり、自宅マンションでエレベーターに乗れば、「さぁん~♪」と降りる階をほかの人に指示したり。知らない方から「赤ちゃんなのに数字や文字が読めるんですか?」「どんな早期教育をされているのか教えてもらえませんか?」と突然質問をされたことも何度かありました。

その後も読み書きはかなりのスピードで上達しました。本を読めるようになったのかがいつごろかは、ちょっとよくわかりません。字を書けるようになった時期もはっきりしませんが、すでに幼稚園に入園する前には、手紙や自作の物語をすらすらと書いていました。ただし文字の書き順はめちゃくちゃ。誰かに教えられたのではなく、自分で形を覚えて再現していたので、びっくりするような書き順でした。「て」も「し」も、下から書いていたような。段々それが定着してきてしまって、さすがにこのまま放置はまずいだろうということで、ひらがなの書き順を直すために公文に入れたのが4歳半のときでした。

2192450_1064617919_211large

3歳半のときに作った絵本。全部で20ページくらいある中のクライマックスの1ページです。あかずきんちゃんがリベンジでおおかみを殺すというなんだか強烈なお話でした・・・。絵よりも文字の方がしっかり書けており、このころには逆さ文字などもありませんでした。文末は、「しんでしまいました」と書きたかったようですが、「しんでしましたいたた」になってしまった模様。

 

これだけ聞くと、「まあ、おたくのお嬢さんは優秀で」と思われるかもしれませんが、当時の私は不安でいっぱいでした。というのも、彼女の特殊性は「ハイパーレクシア」という自閉症の一症状ではないかと疑っていたからです。文字や数字への異常な関心の高さに加え、同年代の他の子と遊ぶことに全く興味を示さない、文字を見ているときには大人が声をかけても気づかない、自分が決めたルーチンに非常に強くこだわるといった点も、ハイパーレクシアの自閉症児の特徴そのものでした。保育園のお散歩ルートでよく我が家の隣の公園に遊びに来ていたので、当時育休中だった私は上からこっそり覗くことが多かったのですが、仲良く手をつないで先生と遊ぶ子供たちから外れて、長女はひとり地面に座り込んで枝を使って地面になにやら書いていることが多かったです。だから、当時は、保育園のお迎えのときに担任の先生から「あ、お母様、ちょっとお話が・・・」と声をかけられるたびに、「もしや・・・」と心臓がバクバクしました。

4~5歳になると、だんだん友達と仲良く遊べるようになり、「自閉症ではないか」という私の心配はいつの間にか消滅しました。その後、海外生活のスタートとともに日本語の能力はあっという間に減退し、今はおそらく年齢相当のレベルになっているのではと思います。彼女の場合、おそらく、ハイパーレクシアの3型(徐々に自閉症の症状が消えるタイプ)だったのではないかと思います。

しかしながら、長女は今でも、活字の世界に入ると、それに夢中になってしまうところがあります。例えばお風呂上りに本を見つけて読みだして、そのままずっと裸だったりします。いったん本を読み始めると、ストップさせるのが本当に大変です。性格は社交的で明るく、友達も多いのですが、その一方で、非常にマイペースでKYな面もあります。インターではうまくやっていますが、日本に戻ったときにはどうなるかな。社会性に欠けるダメな子という評価を受けるのではと危惧しています。


彼女のように「本能的に文字が大好き」というタイプの子にどんどん本を与えるのが、いいことなのか、どうなのか。当時、色々ネットで調べてみましたが、ハイパーレクシアに関する情報自体がほとんどなく、よくわかりませんでした。

ただ、何となくですが、長女の場合、むやみに与えすぎるのはよくないだろうと感じていました。よって我が家では、彼女が本を読むことのできる環境を整えつつも、本の世界に入り込みすぎないよう、外遊びの時間や実体験を積ませる場面を意識的に増やすように心がけてきました。といっても、平日は朝から夜まで保育園に預けっぱなしだったので、私にできることといえば、休日にどこかに連れ出すことくらいでしたけど・・・。


最近、「どんぐり倶楽部」の糸山先生のブログの記事「長時間の読書は危険ですよぉ」というのを読んで、ああ、当時自分が感じていたモヤモヤとした不安の正体はこれだったのだなと思い当たりました。どんぐり倶楽部の教育法、我が家ではすべてを実践するのは難しいと思いますが、鋭い指摘に考えさせられることが多いです。以下、糸山先生の記事から、一部を引用します。

 幼児・児童期には、本は嫌いじゃないけど、外遊びと読書だったら、迷わずに「外遊び!」と言えるバランスで育てなければ、後々、厄介なことになります。 仮想世界を十分に豊かに作り上げられるほど、現実世界を味わい尽くしたあとでは、読書の時間は至福の時間となります。そのためにも、幼児・児童期には「本の虫」には、体を張ってでもさせないことが大事なんです。

人間は、現実世界のなかで生きているわけです。これに対して、ゲームもテレビも漫画も本も、すべて仮想の世界。本はビジュアルが限定されている分、ゲームやテレビ、漫画よりは仮想世界としての完成度が低く、その分危険性も低いのでしょうが、それでも、二次元の世界であることに変わりはないんですよね。

糸山先生は、仮想の世界に重点を置いた子ども時代を送っていると、現実世界で生きるための能力が十分に発達せず、のちに大きな問題が起きる可能性があるということを指摘されているわけです。非常に鋭い指摘だと思います。


長女は、今では、本を読むことよりも、手芸をしたり工作をしたりと手を動かして作業することが好きなようです。学習環境が英語+ドイツ語とちょっと特殊なので、最近は日本語の衰えを感じることが増えてきました。もう少し日本語の書籍の読書量が増えるように環境づくりをしてみた方がいいのかもしれませんが、本以外のことに楽しみを見い出している今の状態が健全なのかもしれないなと思い、躊躇しています。

長女の読書については、彼女の成長を見守りながら、今後の方向性を考えたいと思っています。

 

 

 

読書の弊害とハイパーレクシア” に10件のコメントがあります

    1. レオン先生からコメントがいただけるとは!びっくりです。
      なるほど~、読み聞かせ、いいですね!「取扱説明書」や「辞書」を使うというアイデアにびっくり。最近はすっかり読み聞かせをさぼっていましたが、おやすみタイムの読み聞かせ、さっそく昨晩から再スタートしました。ありがとうございます!

  1. ハイパーレクシアという言葉、初めて知りました。

    私はこれくらいの子供でしたが、異常などと言われず
    大学院を出て会社員をしています。

    文学少女と言われて育ち、友達は多くはないけれども
    国語の成績がいい普通の子供でした。

    今は会社員ですが主に執筆の能力でそれなりお金を稼いできたので、
    こんな風に言われるということに驚いています。

    今は何もかも平均でないと、異常と言われる時代なのでしょうか。
    何か突出した特技があることが、なぜ悪いのか…。

  2. こんにちは!liberumさんも同じようなお子さんだったのですね。
    実は私も言葉の発達がはやく、読み書きができるようになったのは長女と同じくらいのようです。

    ただ長女の場合、言葉の発達のはやさに加えて、他人に対する関心が希薄である、自分で決めたルールへのこだわりが強いなど、かなり変わったところがありました。保育園では一番の古株(0歳児から通っている)にも関わらず周囲に馴染めず、浮いていました。漠然とした不安感から色々調べたところ、ハイパーレクシアという言葉に遭遇しました。

    ハイパーレクシアについてはまだ研究があまり進んでいないようですが、自閉症の一症状として出るケースがあるようです。ただ、幼児期に自閉症類似の特徴を示すものの、それが成長と伴い消えていくケースも多いようで(俗にType 3と呼ばれているようです)、長女の場合はまさにこのケースだったのかなという気がします。

    おっしゃる通り、最近は人と違う部分があるとなにもかも障害のように言われる風潮がありますよね。発達障害や自閉症が増えているというニュースを見るたびに、単に「診断数」が増えているだけなのでは?と素人ながら突っ込みたくなってしまいます(汗) 個々の違いをもっと前向きにとらえ、受容できる社会になるといいなあと思います。

  3. 才能を病気と診断してしまうと、委縮しちゃうのではないでしょうか。

    私はもう中年ですが、学生時代予備校に通っておりました。
    全国模試の上位者は、平均的に点が良いか親に恵まれた努力型だけでなく
    明らかに才能があり、勉強時間より成績が良い学生が結構高い割合でいました。かれらは今でいえばハイパーレクシアでしょう。

    大学や大手企業の研究所には、そういう人材が今でもたくさんいます。一日中、機械や文書に向かう彼らは異常なのか?サービス業の人ほど人間に興味はありませんが、相当の年収を稼ぎだし社会生活をしていても…病気なのか?

    1. コメント、ありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。ただ、治療が必要なタイプとそうでないものが、小さいときには見分けがつかないのが難しいところですね。

      ちなみにハイパーレクシアに関する論文で一番メジャー(Google scholarで引用数が最大)と思われるのは以下のものです。
      https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/1469-7610.00193
      様々なケースが掲載されていますが、とある例でこんな言葉が掲載されていたのが印象的でした。
      “I was fortunate to have grown up when that diagnosis did not exist. The only label that my parents even thought of was “gifted”.

  4. 長所を”治療する”というのは、平凡な子供を育てるということなのでしょうか。激務で多くの年収を稼ぎ、タワーマンションで家族と暮らす彼らはハイパーレクシアかもしれませんが”自閉症”とは程遠い人間に見えます。

    社会に出てしまうと平均をとるのは難しいです。特に人とのコミュニケーションで平均的かどうかなんて。
    友達の数?激務の人や子育て中の主婦は少なかったりしますが、彼ら彼女らは治療が必要なんでしょうか?

    目が見えないとか、字が読めないとか…何か明白なハンディキャップがあって、補うことでその人の生活が明らかに豊かになるなら、治療すればいいと思いますが、頭がよすぎることは”治療”すべきことなんでしょうか?

    いろいろな人が色々な考えで子供を育てればよいと思いますが、
    子供のため…と言いながらその芽を摘んでいるように見えます。

    平均的な、凡庸な、子供に育ってほしい、それも親の希望ですから、否定はしませんが…。

  5. こんにちは。再度のコメント、ありがとうございます。

    すみません、私の文章が長くて分かりにくいために誤解をされてしまったのだろうと思いますが、私は「頭のよすぎる方」に治療が必要だと申し上げているわけではありません。私は専門家ではないため、どのようなケースで治療が必要なのかは正直よくわかりません。おっしゃるとおり、世間で優秀だと言われ活躍されている方々に幼少時から読み書きの能力が卓越していた方が多いことは確かだと思います。またその方たちに「治療」が必要だったとは思いません。

    今回の記事で私が述べたかったのは、子供の読書の在り方、特に読書が好きな子供にどこまで本を与えるのがいいかという点です。私自身がこの点について長年悩んでおり、そのような中で読んだ糸山先生のブログ記事に強く共感したため、ご紹介させていただきたいと思って今回の記事を書きました。

    もし私の記事でご不快にさせてしまった点があったなら、申し訳ございません。

  6. お久しぶりです。今回の記事、大変共感いたしました。
    娘もやはり早いうちから文字に興味を持ち(娘の場合は視覚よりも聴覚派でしたが)、あまりにも本に執着するため、やはり同じように本を与えることについて悩んだ時期がありました。幼児の時期で何時間でも本を読み続け、友達は大好きだけどあまり上手く接することができない、そんな子供でした。そして、わたしも「どんぐり倶楽部」の糸山先生のブログの記事「長時間の読書は危険ですよぉ」を拝読し、同じくハッとさせられたのでした。この記事との出会いをきっかけに、娘には本から少しずつリアルなお友達との関係へ橋渡しするような取り組みを始めました。本が好きでしたから本によって友達とのコミュニケーションについて学んだり、自分の感情をコントロールする方法を学んだり、いろいろ試しましたね〜。懐かしいです。

    思い返せば、娘は小さい頃からチックの症状が出ていてそれも悩みの一つでもあったのです。いろいろな施設にお話を伺いに行く中でグレーゾーンと言う言葉にも出会い、そんな娘を丸ごと受け入れるためにまずはわたしも様々な本を読んで学びました。

    こちらの記事を拝見していろいろ思い返しているうちに、チックの症状もそういえばここ1年消えていることに気づきました。症状が消えたいちばんの理由は娘が友達と良好な関係を築くことができるようになったからではないかなと推測しています。友達とべったりする子ではありませんが、程よい距離を保てるようになったのですよね。友達は大好き、でも執着はしないという感じで。

    そんな娘の様子を見て、最近はまた本を解禁するようになりました。それはそれは嬉しそうに読んでいます。

    これから大人になるにつれて本によって様々なことを学び賢くなることに越したことはありませんが、まずは人とのコミュニケーション能力があってこそだと思いずっと子育てしてきました。娘さんたちはとても可愛らしく成長されていると思います。きっと日本に帰ってきてもたくさんのお友達に恵まれ、現在の海外経験が周りにとっても良い刺激となることでしょうね。今後も応援しています。

    1. こんにちは!バタバタしていてすっかり返信が遅れてしまいました。申し訳ありません。そして、暖かいコメント、本当にありがとうございます!

      同じような悩みを持たれ、そして同じように糸山先生の記事に共感されたとのこと、びっくり&とてもうれしいです。「読書はいいもの、すばらしいもの」という考え方にアンチテーゼを示されている教育者は、おそらく糸山先生くらいではないかと思います。ある意味すごいなあと思います。

      おっしゃるとおり、社会で生きていくためには、コミュニケーション能力がとても重要だと私も思っております。どれだけ得意な分野があっても、コミュニケーション能力がなければ、チャンスは逃げていくだけだろうな~と。純粋に才能のみで勝負できるのは、スポーツ選手だとか音楽家だとか、ごく限られた職業の人のみで、我が子はそういうカテゴリーには属さないことになると思うので・・・。また、一人の人間として、友人や家族に恵まれ、幸福な人生を送るためには、「人とつながる力」が重要なんだろうなと思います。

      本を通じてコミュニケーションを学ぶというのは、素晴らしい発想ですね。私はそこまで考え付きませんでした。当時の私に、Kさんのコメントを読ませたいです(笑)

      ちなみに長女の場合、いつの間にか友達の輪に入って仲良く遊ぶようになりましたが、その原因はおそらく、2つ年下の妹だと思います。毎日まとわりついてくる「お姉ちゃんラブ」な妹と遊ぶのが、いい刺激になったのかなあと思います。

      いつも色々なアドバイスやコメント、本当にありがとうございます!(以前アドバイスいただいた英単語のスペリングの覚え方、細々と実践を続けています♪)今後ともよろしくお願いいたします。

レオン にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA