先日、長女に久しぶりに日本語で作文を書かせてみました。
まずは、何を書くか考えを整理して、ざっくりした構成を紙に書いてみるように言ったところ、長女が書いた構成案は全て英語でした。「日本語の作文なんだから、構成も日本語で書いてみたら?」と言ったところ、「えー、英語の方が楽なんだけどな。」とのこと。まだまだ英語よりも日本語の方が優勢な状況のはずなのですが、学校生活がすべて英語だからでしょうか、こういう作業などは英語の方が楽に感じるようです。
次に、作成したメモをもとに原稿用紙に文章を書かせてみました。彼女が書く文章は日本語としては正しいのですが、どこかぎこちない感じがしました。原因を分析してみたところ、以下の2点でした。
①主語がきっちり入っている文章が多い。
②所有格が頻繁に出てくる。
彼女の書く文章は、たとえばこんな感じです。
この文章に、文法的な間違いはありません。ただ、「私」が2回続くと、まどろっこしい感じがしてしまいます。英語だと”I went to XXX with my family”ですから、その思考回路で、「家族」には「私の」と所有格をつけてしまうようです。
この文章では、「いっしょに」を入れるべきかどうかも悩んでいました。本人は、「withだから日本語だと『いっしょに』って入れた方がいいのかなあ。」などと言っていました。どうも英語で先に文章を作って、それを頭のなかで日本語に直していたようです。「『と』がwithの意味を持つので、『いっしょに』は入れても入れなくても、どっちでもいいよ。でも入れた方が意味は明確になるね。」と伝えたところ、「あー、そうか。そうだよね。」と言っていました。
また、英語は、主語を意識して書くことが必要な言語なので、その影響も見受けられました。長女の文章は、主語が明確に書いてあるものが多いので、文法的に間違いはないのですが、読んでいてやや流暢さにかける感じがするのです。
小さいころから英語を学習させると、日本語の習得が遅れるとか、日本語と英語の単語が混乱してしまって「ルー語」を話すようになるということがよく言われています。長女の場合、もともと言葉の習得が早く、日本語が母語としてしっかり確立してから英語を入れたので、同年齢の子ども達と比べたときに日本語の習得が遅れているということはないと思います。また、日本語と英語の単語が混同してしまうという現象もありません。ただ、日本語と英語は、言葉をアウトプットするときの思考回路が異なるので、英語でのアウトプットが増えたことにより、日本語の文章を書かせたとき、英語の訳文のような不自然な表現が散見されるようになってきたように思います。
どうすれば自然で美しい日本語の文章を書けるようになるのか。絶対的な解はありませんが、日本語の文章を日本語で考えて書く時間をもう少し増やした方がいいのかな。この1年、日本語の本はよく読んだけど、日本語でのアウトプットはほとんどしてこなかったので、もう少し意識的にアウトプットの機会を作ってみようかなと思います。日記を書かせたり、手紙を書かせたり、まずはそういうところからスタートするのがいいのかな。
なお、一般論としていえば、英語の学習は日本語力の向上にはマイナスになる面が多いですが、プラスになる点も意外にある気がします。というのも、日本語の単語のなかにも、その語源や概念が英語に由来するものが結構多いからです。
たとえば、「演説」という言葉は、明治時代に福澤諭吉が英語の”speech”という単語を日本語に訳したものです。小さな子供には「演説」という言葉は理解が難しいですが、speechの日本語訳だよと説明すると、ああなるほどとすぐに意味を理解してくれます(厳密にいえば、speechと演説は、今では少しニュアンスが違ってきていますけどね)。「リサイクル」「インフレ」「クレジットカード」など、小学生が知っておくべきカタカナ用語も、日本語よりまずは英語で意味を把握した方が理解が深まる気がします。そういえば、つい先日のことになりますが、長女から、「PDCAサイクル」という言葉の意味を聞かれたので、「plan、do、check、actをcycleすることだよ」と絵を描いて説明したところ、すぐに意味を理解したので、ちょっと驚きました。こういう経済用語の類も日本語のみだと子どもへの説明に窮しますが、英語だと楽ですね。
語源や概念が英語に由来する言葉は、まず英語で理解して、それを日本語に置き換える方が、スムーズに頭の中に入っていくようです。そういう点からすると、あくまでも個人的な所感にはなりますが、英語の学習は、日本語力の向上に役立つ一面も多少はあるのかなという気がしています。