ふらふらネットサーフィンをしていたときに見つけた記事ですが、とても考えさせられる内容だったので、シェアしたいと思います。
日独ハーフの人を沢山観察してきたが、日本語とドイツ語の完全なバイリンガルもいれば、親がバイリンガル教育にはあまり力を入れず、ドイツ語オンリー、もしくは日本語オンリーのハーフもいる。ドイツ在住のドイツ語オンリーの日独ハーフを観察していて思ったのは、日本語とドイツ語の両方を話すハーフよりも、ドイツ語オンリーのハーフの方が専門知識の必要な、いわゆる「堅い」職業に就く傾向があるということだ。ドイツで医師や弁護士、税理士、エンジニアの職についている日独ハーフは「ドイツ語オンリー」で育ったケースが多い。仮に日本語を一時期習っていたとしても、決してバイリンガル教育どっぷりの語学中心の子供時代は送ってこなかった
これを見ていて思うのは、しょせん人間のエネルギーや興味は限られているということ。日本語とドイツ語の両方を学ぶことにその人の全エネルギーが向かえば、当然、本人の興味の対象は日本とドイツの「文化」や「言語」に向き、医学に興味を示したりそれを職業にしようという発想にはなりにくい。弁護士や税理士にも同じことが言える。法も税金もいわば言語とは全く関係の無い分野なので(もちろん複数の言語ができれば便利ではあるが)、やはり日本語とドイツ語の完全なバイリンガルである場合は、そのような職業を選ばないケースが多いようだ。
著者のサラさんは、ドイツ語と日本語のバイリンガル。子ども時代の大半をドイツで過ごしているにもかかわらず、彼女の書く日本語は完璧で、外国で教育を受けた人間のものとは感じられません。おそらくお母さん(日本人)と二人三脚で大変な努力をされたのだと思います。
完璧なバイリンガルと聞くと、「すばらしい、うちの子もそんな風に育てたい」と思ってしまうわけですが、サラさんいわくそんなにシンプルなものではなく、「落とし穴」があるようです。サラさんの文章を私なりに解釈して整理すれば、落とし穴は2つあります。ひとつは、「語学にどっぷり」の子ども時代を送ったため、語学との関連性が薄い事柄への興味を持ちにくいこと。もうひとつは、2つの文化を行き来する生活で、アイデンティティーに悩み「ふらふらしてしまう」期間が長くなりがちなこと。
2つ目の落とし穴は「バイリンガル」というより「ハーフ」という属性により生じる部分が大きい気もしますが、1つ目の落とし穴はまさにバイリンガル教育のトラップだなと思いました。バイリンガル教育についてはいわゆるセミリンガルの危険性があることは認識していましたが、成功した場合にもこのような「落とし穴」があるという点には、恥ずかしながらサラさんの記事を拝読するまで全く気づきませんでした。
思えば私自身、今は専門職として仕事をしているのですが、もし自分がバイリンガルだったら、今の職業は選ばなかっただろうと思います。語学のような目立った特技はなく、勉強くらいしか取り柄がなかったので、専門職を目指すというのは当時の私にとってはごく自然な選択でした。でも、もしバイリンガルだったら、わざわざリスクをとって時間と費用をかけて専門職を目指すことはしなかったでしょう。自分の語学力を直ちに遺憾なく発揮できる場所として、大手企業などへの就職を選んでいた気がします。でも結局、語学力だけで生きていけるほどこの世の中は甘くはないので、どこかで大きな壁にぶつかり、「ああ、generalistじゃなくてspecialistを目指していれば」と後悔していたのではないかという気がします。
私が子供に英語を学ばせたいと思ったのは、英語がもっとできたら、もっともっともっともっともーっと色々できるのにというジレンマやコンプレックスを常に感じていたからです。英語ができることのメリットも、できないことによるデメリットも、肌身で感じていましたので、子どもはバイリンガルに育てたいと考えていました。
とはいえ、英語はコミュニケーションのためのツールにすぎません。そして、グローバル社会での生き残りのために大切なのは、語学力よりもむしろ専門性だろうとも考えています。そんなわけで、子ども達には、専門性×語学力を極めてほしいと思っていましたが、このふたつ、実は結構難しい組み合わせだったようです。
勉強法にこだわりすぎて勉強自体をしていない人を時折みかけますが、もしかすると英語もそれと同じような面があるのかもしれません。ツールにすぎない英語の勉強に時間をかけすぎて本丸を見失なうことになれば、本末転倒のように思います。英語を学ばせるのではなく、英語を通じて学ばせる。そして子ども達の世界を広げてあげる。どうすればそんなバイリンガル子育てができるのか、試行錯誤しながら進んでいきたいなと思っています。